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【エッセイ】平和教育としての外国語教育

平和教育としての外国語教育

ルーマン「ゼマンティク」をヒントにして-

和泉敏之

 

第1章      はじめに

第2章      ルーマン「ゼマンティク論」

第3章      平和教育としての外国語教育

 

第1章      はじめに

 2020年代に入った世界でも「ウクライナ問題」のような戦争が起こり、世界平和や平和教育の重要性は強まっています。本小論では、平和教育の手がかりとして高部・奥本・笠井(2022)、そして古典的名著としてマルクスの『資本論』を参照したいと思います。

日本平和学会で2014年に提唱されたのは「対話」特に「やりとり」の重要性でした。これはテンプレート化された平和教育とは一線を画すために打ち出された概念です。平和学の提唱者・ガルトゥングは平和を「消極的平和」と「積極的平和」に分けています。前者は直接の暴力、構造的暴力、文化的暴力の軽減や不在を意味し、後者は直接の平和、構造的平和、文化的平和の構築を意味します。

 また、和教育の思想として、フレイレの思想が重要視されてきています。彼は知識を一方的に伝達する「銀行型教育」を批判し、「課題提起教育」を提唱しています。これは認識主体による対話や彼の識字教育に裏打ちされた「意識化」という特徴があります。平和教育は消極的平和のみならず、積極的平和を指針にすべきだと提言されています。

 ここで平和と馴染みがやや高いのが「資本主義への批判」です。積極的平和が目指す世界は資本主義が暴走した形を乗り越えることと関係が深いからです。ここからはマルクスの『資本論』を参照したいと思います。

人間は商品に囲まれています。その商品ですが、1つの物が有用であるとき、「使用価値」になるとマルクスは言っています。それが他の物と交換可能なとき、「交換価値」になるとも言っています。商品は労働の量、すなわち労働の時間によって測定されるものだとされています。はじめに投げ出された価値は、それが流れる中でその大きさを変化させます。これにより、「剰余価値」が生み出されます。価値を増大させる運動は「資本」を作り出します。

資本を持った資本家は労働者から買った「労働日」から商品を作るために必要な時間を差し引きます。これにより、労働者の「搾取」が起こり、「剰余労働」が起こります。モノの一部が価値に転換した場合、不変資本と呼ばれます。一方、労働者が生きた労働によって生み出したものは「可変資本」と呼ばれます。最大の可変資本は人間を雇用して働かせることです。しかし、実体は人間を奴隷のように扱い、搾取をして剰余労働を資本家が搾り取る姿でした。

 このように、資本主義が行きすぎた場合、人間は他人を人間扱いしないようになることも忘れないようにしなければなりません。人間は他人を奴隷のように扱ってはならないのです。ここで、資本家と労働者のような権力者とそうでない人々の間では「革命」ではなく、「対話」が重視されるべきではないでしょうか? 「権力者-非権力者」という構図は資本家と労働者の関係のみならず、政治家と市民、教師と学習者など、さまざまな場面に現れます。これを非権力者の主体的な存在感を大事にして、違いはあるものの、それでも公平性を大切にしながら「対話」を行っていくことが求められるのではないでしょうか?

 ここまで平和教育の手がかりを示してきました。重要なキーワードは積極的平和を目指した「対話」です。では、そもそも「対話」とは何なのでしょうか? 次の章では、対話について理論的に解明したいと思います。

 

第2章      ルーマン「ゼマンティク論」

 ここで対話の理論として、ルーマンのゼマンティクについて簡単に解説しましょう。ゼマンティクとは「意味論」と訳され、意味を取り扱う分野です。注意しなければならないのは、意味とはことばの意味だけでなく、さまざまな事象に用いられていることです。そのことをもっと詳しく検討しましょう。コミュニケーションを行っているとします。このとき、あなたは相手の頭の中を直接覗くことはできません。仮に相手の心の声が聞こえても、相手の感情までは味わうことはできません。このときコミュニケーションを外から眺めると、実に多くの変数に囲まれていることが分かります。ルーマンはこれを複雑性といいます。そして、コミュニケーションが進んでいくためには、複雑性の縮減、つまり対応可能にまで要素という変数を除去していく必要があります。ここで用いられるのがゼマンティクです。ゼマンティクは人間の現実世界からは離れた、社会の裏側に潜む文化のことです。コミュニケーションのときに用いられるこの文化は一重に「知恵」と言っても良いでしょう。このゼマンティクは現実世界の現実性と意味の世界の可能性を結びつける橋渡しをします。このとき、この架け橋が「意味」と呼ばれます。

 具体例を見てみましょう。結婚相手、この場合性別は関係ありません。相手が仕事から帰宅します。その人は「ただいま」と言いますが、いつもと違うことにあなたは気づきます。いつもより声のトーンが低いなど、可能性を今ある現実性と結んでいくのです。そして「元気がない」という可能性と現実性を結びつけ、「仕事で何かあったのかな」と言い風に意味を使って、複雑性を縮減していきます。

 

第3章      平和教育としての外国語教育

 ここまでの知見を踏まえて、平和教育としての外国語教育(主に英語教育)について整理したいと思います。まず、外国語の習得が最優先課題だということです。最低限の知識やそれを基にした創発能力は必須です。これはAIによる学習でも対応できるでしょう。ただ、

習得だけでは平和教育にはつながりません。深い対話が必要とされるからです。ここで意味をキーワードにして言及します。

 深い対話とは意味理解を軸にした背景を読み取る力が必要とされます。我々はフィルターを通じて、世界を見つめています。自身に有利な解釈をしがちです。しかし、対話とはゼマンティク、すなわち意味を多面的に読み取る解釈力を求めるものです。相手の文字通りの意味を素直に受け取るだけなく、背景の様々な可能性を現実性と結びつけていくのです。一直線型の思考のみならず、意味を分散化させてまとめる力が必要とされるのです。

 ここで、コミュニケーションと文化について批判的な考察も重要になります。従来は文化という土台の上にコミュニケーションが成立するような視点が常識的だったと思います。しかし、コミュニケーションにより文化は顕在化され、またコミュニケーションをつないでいくように文化は浸透していく視野を提案します。

コミュニケーション→文化

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これにより、意味を媒介とした不確実なコミュニケーションをつないでいくことが文化の理解、さらに言うならば平和教育としての外国語教育の礎になるでしょう。

特に外国語の使用では、日本語では当たり前に通じるコミュニケーションではままならなくなります。これにより、相手の背景を母語以上に読み取る営みが起こるのです。当たり前を疑うこと、これは拡大する資本主義を批判的に検討することにもつながります。平和教育は「不完全な外国語使用」によって促進されるのです。

 平和教育とは対話を基軸にした積極的平和への行動によってもたらされるでしょう。そのためには、AIでは不可能な、相手の心情を察することがますます必要になるのではないでしょうか? 私は小説を書いていますが、AIを使っても世界観の構築はまだまだ不十分でした。外国語を使用していたら、コミュニケーションはほとんどの場合、いわゆる「高コンテクスト文化」に集約されます。相手をよく理解しようと努め、相手の可能性を信じることが平和教育としての外国語教育につながっていくのではないでしょうか?

 

参考文献

白井恭弘(2013)『ことばの力学』岩波書店

高橋徹(2002)『意味の歴史社会学――ルーマンの近代ゼマンティク論』世界思想社

高部優子・奥本京子・笠井綾(2022)『平和創造のための新たな平和教育法律文化社

寺島隆吉(2022)『ウクライナ問題の正体(1)(2)(3)』

鳥飼玖美子・鈴木希明・綾部保志・榎本剛士(2021)『よくわかる英語教育学』ミネルヴァ書房

マルクス著・今井仁司・三島憲一・鈴木直訳笠(2005)『資本論・第一巻(上)(下)』筑摩書房

ルーマン著・佐藤勉訳(1993)『社会システム理論(上)(下)』恒星社厚生閣

Sperber. & Wilson. 2012. Meaning and Relevance. Cambridge.